|
都市国家(としこっか、)は、ひとつの都市とその周辺地域が、独立した政体や文明としてひとつのまとまった形態をなす小国家を表す〔http://www.y-history.net/appendix/wh0101-010.html〕。明確な要件・定義はないが、 == 歴史 == === 古代における都市国家 === 古代において、都市国家は国家の、というより人間社会の最初の形態であった。まず外敵(人間だけでなく、オオカミやトラなどの肉食動物を含む)から安全を守るために、人間は集落を形成した。当初は食糧を求めて移動生活を送っていたため、集落の規模も最小限であったが、やがて農業や牧畜の発展により1か所に定住するようになり、集落の規模も大きくなり、都市を形成した。 最初に農業を行ったとされる人間は、古代オリエントのメソポタミア文明におけるシュメール人であり、彼らが最初の都市国家を築いた。都市の中心に神殿を持ち、集落の周りに城壁を築き、城壁外の農地や牧地とともに独立した国を形成していたシュメール文明の都市国家群がその原初的な形態である。 アテナイなどの古代ギリシアの小国家群や古代ローマ、古代インド(インダス文明)、古代中国(黄河文明、中国語では「或」や「邑」と呼ばれた)など、古代には世界各地で見られる。 初期の都市国家は、都市周辺の農地・牧地において食をまかなう自給体制であったが、隣接する都市国家どうしでの交易がはじまると、交易に専従し、都市生活者の食をまかなうに十分な農地・牧地を持たない都市国家も成立した。 日本では加茂岩倉遺跡、吉野ヶ里遺跡の発見から、弥生時代に都市国家群を形成していたと推定できる。近年は三内丸山遺跡の発見により、縄文時代にまで起源が遡ることとなった〔井沢ら編著 1995 〕。 人間が都市国家を形成する時代になっても、都市国家に参加しない人々もいた。古代中国においては、そういう人々は野人と呼ばれた。 一般に都市国家群の国際関係においては、強大な都市国家が弱小な都市国家を従属させたり、相互に同盟を結んだりすることで、密接な結合を持つようになる傾向がある。こうして形成された都市国家の連合は、古代ギリシアにおいてアテナイが盟主となって加盟する都市国家を従属させたデロス同盟がよく知られている。殷・西周・春秋時代の王や覇者を中心とした秩序もこうしたものであった。アメリカ大陸のマヤ文明諸都市も、アステカによって統合された。 都市国家の連合によるネットワーク型の国際秩序は、時として様々な内的、外的要因により領域国家に転換する。都市国家連合が完成すると、都市外部であっても連合の内部においてはある程度の秩序が生まれ、治安が保たれ、都市国家とは無縁に生活する人々も都市国家連合の中に組み込まれていくこととなる。地中海世界におけるローマ帝国、イラン高原からメソポタミア、東地中海世界を統治したアケメネス朝、東アジアにおける戦国時代の諸王(戦国七雄)の統治下の諸国やそれらを統合した秦・漢帝国といったものがそれである。こうした転換の結果、都市国家は単なる地方単位(中国語では「県」という)になっていった。日本の大和朝廷の成立も、弥生時代の都市国家の連合が、領域国家へ転換したと見ることができる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「都市国家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|