翻訳と辞書 |
東京都立駒場高等学校[とうきょうとりつ こまばこうとうがっこう]
東京都立駒場高等学校(とうきょうとりつ こまばこうとうがっこう)は、東京都目黒区大橋にある都立高等学校。 == 概要 == 東京府立第三高等女学校を前身とする都立高等学校。目黒区立第一中学校と校地が隣接している。周囲には筑波大駒場、駒場東邦、駒場学園など多くの学校が立地し、東京大学教養学部から南におよそ700mの高台に位置する。1946年に現在地に移転してくるまで麻布(旧麻布日ヶ窪町、現六本木ヒルズ付近の港区立六本木中学校の地)に校舎があった。 戦前は高等女子教育の名門中の名門としてその名を馳せ、「浅草の第一(白鴎)、小石川の第二(竹早)、麻布の第三(駒場)」と評されていた〔あるいは「浅草の一女、小石川の二女、麻布の三女」 『慕いて集える』(創立百周年記念誌編纂委員会編集、都立駒場高校発行、2003年11月30日) P53、『都立高校のすべてがわかる本』(山崎謙、山下出版、2000年8月15日) P94 などを参照。〕。初代校長の小林盈は体力養成を強く奨励。「足の大きくなる学校」と言われる程、体操授業に力を入れ、1929年まで20年以上にわたって校長職を務め、府立三女の基礎を築いた。1930年に広瀬雄(第3代・前 府立三中校長)が校長に就任すると、校友会活動にも力を入れ、活発な活動を行うようになっていく〔『東京都立駒場高等学校創立60周年』 (1963年) P11 ~ P19。〕。戦後の学制改革により男女共学に移行した後も、各界に多彩な人材を送り出してきた。特に都立高校全盛期において、女子では都立難関校の一つに数えられていた。 歴史的建造物である仰光寮が保存されているなど、伝統校としての一面がうかがえる。一方で、土曜授業の導入や進学指導体制の整備が進んでいる。 また2007年6月には東京都教育委員会より国分寺、小山台、新宿、町田の各校と共に「進学指導特別推進校」に指定され、教員の公募制や進学指導体制の更なる充実を実施し、進学実績向上に取り組んでいる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京都立駒場高等学校」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|