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鄒韜奮 : ウィキペディア日本語版
鄒韜奮[すう とうふん]

鄒 韜奮(すう とうふん)は中華民国の教育者・ジャーナリスト。名は恩潤だが筆名の韜奮で知られる。抗日主張を展開した言論人として知られ、中国国民党国民政府)の安内攘外政策を厳しく批判した。国民政府の弾圧を受け一時拘禁された「七君子」の1人としても著名である。他の筆名には、因公落霞心水秋月木旦笑世などもある。祖籍は江西省饒州府安仁県。なお、中華人民共和国国務院副総理を務めた鄒家華は長男、気象学者の鄒競蒙は次男である。
== 事跡 ==

=== ジャーナリストへの道 ===
福建省の地方官僚の家庭に生まれる。当初は旧学を学んだが、1909年宣統元年)に福建工業学校に入学してからは新学に親しんだ。1912年民国元年)、上海の南洋公学(後の上海交通大学)附属小学に入学し、その後南洋大学(公学改組後の学校名)まで進学している。ここでは父の希望もあって電気工学を学んだが、結局関心を抱くことができなかった。そのため1919年(民国8年)、上海聖ヨハネ大学に転入して外国文学と教育学を学んだ。
1921年(民国10年)に鄒韜奮は大学を卒業し、当初は上海紗布交易所で英文秘書を担当した。翌1922年(民国11年)、中華職業教育社に移り、月刊誌『教育與職業』の編輯となる。また、中華職業学校などで英語教師も務めた。この頃、『職業教育概論』などの教育学関連著書も執筆した。
1925年(民国14年)、『教育與職業』は週刊誌『生活』となり、翌年10月に鄒韜奮が主編となった。鄒は職業教育社社員のみを読者対象としていた同誌の主旨を変更し、一般社会向けの雑誌へと衣替えした。雑誌内において鄒は職業教育関連のみならず、社会改良主義などの主張も展開している。さらに同誌は、陳調元王伯群など国民政府高官の腐敗ぶりをも暴く記事を掲載した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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