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鄭度[てい ど]
鄭 度(てい ど/てい たく〔日本語では「ていど」と読むのが慣用的であるが、「ていたく」とも読める。井波律子訳『正史三国志5 蜀書』ちくま学芸文庫版、204頁は、「ていたく」と読んでいる。〕、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の政治家。益州広漢郡綿竹県〔『華陽国志』巻10中「広漢士女」。〕の人。
== 事績 == 劉璋配下の従事。劉備が益州攻略を開始すると、鄭度は劉璋に対し、巴西・梓潼両郡の住民を西に移動させ、両郡の穀物を尽く焼き払って守りを固めるという、いわゆる焦土作戦を進言した。しかし劉璋は「敵を防いで民衆を防ぐ話は聞いたことあるが、民衆を移動させて敵を避けるなど、聞いたことがない」として、これを却下した。劉備も鄭度の策を聞いて恐れたが、法正が「採用されることはないので心配ありません」と言い、その通りとなった。 なお、劉備の益州攻略後における鄭度の行方は不明である。 『華陽国志』巻10中「広漢士女」には鄭度の事績が記載されており、「正論を進言し、誠実な献策をしながらも、受け入れられなかった(「進規、忠謀莫受」)」とした上で、劉璋を愚か者と非難している。 小説『三国志演義』でも、史実と同様のことが描かれている。一方、日本においては、吉川英治の小説『三国志』や横山光輝の漫画『三国志』でもこの場面が取り上げられているが、民を苦しめなかったという観点から、むしろ劉璋の決断の方が評価されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鄭度」の詳細全文を読む
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