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鄭検(てい けん、、景統6年(1503年) - 正治13年(1570年))は、後黎朝大越の権臣、東京鄭氏の初代当主。荘宗、前廃帝、中宗、英宗の四代に仕えた。 == 生涯 == 元和13年(1545年)に舅の阮淦が莫朝からの降将楊執一に暗殺されると、その軍権を引き継いだ。荘宗から都将・節制各処水歩諸営兼総内外平章軍国重事・太師・諒国公に封じられた。阮氏の持っていた権力をも奪い、阮淦の長男阮汪を殺害し、次男のを順化に追放した。鄭検の執政期間、黎朝と莫朝の対立が続いた(南北朝時代)。 正治13年(1570年)に死去し、長男の鄭檜が後を継いだ。朝廷から忠勲王と諡され、後に世祖の廟号と明康仁智武貞雄略太王の諡号を贈られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鄭検」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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