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酸素魚雷(さんそぎょらい)とは燃料の酸化剤として空気の代わりに、空気中濃度以上の酸素混合気体もしくは純酸素を用いた魚雷である。 日本において単に酸素魚雷といった場合、第二次世界大戦中、唯一実用化され運用された大日本帝国海軍の九三式魚雷もしくは九五式魚雷を指すことが多い。本項では、大日本帝国海軍の酸素魚雷を主題として述べる。 ロング・ランス(Long Lance、長槍)という愛称も知られているが、これは戦後にサミュエル・モリソンがつけた物である。 == 概要 == 酸素魚雷では通常の魚雷で使用される圧縮空気ではなく純酸素を酸化剤として使用し、燃料と混合して燃焼させ炭酸ガスを排出する。炭酸ガスは海水に良く溶けるため、ほぼ無航跡とすることができ隠密性の上で大きな意味を持った。また、燃焼効率も大きく上がり高速推進を可能としたほか長い航続力をも併せ持つことができた。このように、使用する酸化剤を酸素のみとすることで多くの利点が得られることは広く知られていたが、同時に酸素の反応性の高さから燃焼開始時などに容易に爆発するという技術上の問題点が立ち塞がっていた。このような事情から各国ともに酸素魚雷の開発に力を入れていたものの頻発する爆発事故で中止の止む無きに至っていた。このような中で、1933年(昭和8年)、日本は世界に先駆け酸素魚雷の開発に成功、以降、大戦を通じて唯一の酸素魚雷運用国となった。 酸素魚雷は当時の一般的な魚雷と比べ、雷速(魚雷速度)、炸薬量で勝り、射程は数倍、加えて無航跡という高性能なもので、米軍は開戦当初には魚雷性能を把握できない状況で被害を受けたし、1944年になってようやく把握して諸元情報を配布、これを警戒した。しかし、一方で、酸素魚雷の整備性は良好とはいえず誤爆を防ぐために充分なメンテナンスを要し、また、速すぎる雷速の為、船底爆破用の磁気式の信管が使用できず、接触式信管を採用せざるを得ないなどの短所もあった。後に日独技術交換により大日本帝国海軍からドイツ海軍へも試験供与されたが、戦略的位置付けの違い〔日本では航空母艦を含む主力艦艇をも雷撃の標的と考えていたが、ドイツでは通商破壊を主としており標的は主に輸送船であった。〕もあり、整備性の悪さなどからUボートでの使用には適さないと判断され、採用されていない。 現在の魚雷は、主として整備性を向上させた他方式のものが採用されている。しかしソビエト海軍では主力魚雷として電池式と酸素式の2方式を配備し、ロシア海軍でも酸素魚雷の運用が継続されている。これらは、第二次世界大戦で鹵獲されたドイツ魚雷の系譜を引いたものである。ドイツ製魚雷の改良型であるET46は電池式、採用1946年(昭和21年)、射程6km、速力31kt、炸薬450kgであった。冷戦初期のSAET55Mは電池式、音響誘導、採用1955年(昭和30年)、射程6km、速力29kt、炸薬300kgである。冷戦末期のUSET80は新型電池式(銀・亜鉛式、充電保存期間1年)、対潜対艦併用アクティブパッシブ音響誘導式航跡追尾機能、採用1980年(昭和55年)、射程18km、速力40kt、炸薬300kg、作戦深度1,000m超の信頼性と静粛性を併せ持つ高性能電池式の魚雷であった。より高速で長射程な56-65Mはケロシン・過酸化水素タービン式、アクティブ音響誘導式、採用1969年(昭和44年)、射程12km、速力68.5kt、炸薬307kg、作戦深度2mから14mである。 攻撃原潜クルスクの爆沈の原因となったように、過酸化水素式の魚雷には特有の整備性の悪さ(爆発事故等の多発)があるため、新型のケロシン・酸素タービン式が開発され使用されている〔世界の艦船2010 *9::アンドレイ・ポルトフ〕。 また、海上自衛隊でも試製54式魚雷で電池式を採用したものの、72式長魚雷では酸素式を採用している。これらの魚雷は過酸化水素(過酸化水素をヴァルター機関の燃料として利用している魚雷もある)を使用しており、これらは大日本帝国海軍が装備した、酸素ガスを高圧充填していた魚雷とは世代が異なるものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「酸素魚雷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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