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醍醐正夫 : ウィキペディア日本語版
醍醐正夫[だいご まさお]

醍醐 正夫(だいご まさお)は、日本ヤクザ。元指定暴力団住吉会本部長・住吉一家向後五代目。
== 来歴 ==
1988年、住吉連合会・住吉一家向後二代目・醍醐組が発足。歌舞伎町は、のちの住吉会総裁で当時向後二代目の西口茂男の縄張りであった。その歌舞伎町を死守したのが醍醐組であった。
2001年に四ツ木斎場事件で不慮の死を遂げた熊川邦男(住吉会組織委員長・住吉一家向後四代目兼向後睦会会長)の跡目として、2002年に醍醐(住吉会副会長補佐・住吉一家向後睦会理事長・醍醐組組長)が向後五代目を襲名。跡目継承と同時に住吉会懲罰委員長に抜擢され、住吉会では異例の副会長補佐から執行部役員に昇格した。
※向後五代目継承時の登録構成員は850名であり、住吉会においても最大勢力を誇っていた。
2003年、原唯我(本名原唯之)に杯をかわす。
2005年、住吉一家七代目新体制発足に伴い、住吉会運営委員長に昇格。2006年には住吉会の刷新人事で、新設された本部長に昇格就任した。
2008年、脳梗塞を患い身体不自由につき、住吉会本部長及び向後五代目を返上して除籍引退した。
2011年、原唯我がニコニコ生放送で、「だいごまさおはオレのオヤジ」「オヤジの話をされると嬉しい」と公言する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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