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釈道安[しゃく どうあん]
釈 道安(しゃく どうあん、 314年 - 385年)は、五胡十六国時代の僧であり、中国仏教の基礎を築いた大功労者である。 == 生涯 == 本姓は衛氏で、河北省の生まれ。12歳で出家した後、仏図澄の弟子となる。師の没後、五胡の君主が乱立して混乱の極地にあった華北で居所を転々としながらも、彼のもとには次第に門弟が集まり、数百人規模の弟子を率いるまでになった。その後、湖北省の襄陽に移ると、東晋の孝武帝も含めて四方から寄進が集まり、また門弟子も数千人規模となり、彼が住む檀渓寺は盛況を極めた。 前秦・苻堅の建元15年(379年)2月、前秦が襄陽を攻略し、高名な釈道安を言わば政治顧問とするために長安へと連れ去った。長安に移った後も、彼は苻堅の庇護のもと、経典の研究に打ち込み、多数の経序を後世に残した。また、西域で名を馳せていた鳩摩羅什を中国に招くよう、苻堅に建言したのは道安であった。苻堅の東晋遠征に対しては他の群臣と共に強く諌めて反対した〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P94〕。そして383年の肥水の戦いで苻堅が東晋に大敗して前秦が滅亡し、また、直後に道安自身も長安で亡くなってしまうので、彼の生前に実現することはなかった。鳩摩羅什が長安に渡来して、大々的に訳経事業を始めるのは、次の後秦になってからのことである。なお、死没時期は苻堅の死の直前と伝わる〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P168〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「釈道安」の詳細全文を読む
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