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里見平三[さとみ へいぞう] 里見 平三(さとみ へいぞう、文政8年(1825年) - 明治元年11月1日(1868年12月14日))は幕末の尊皇志士。代々水戸藩士の家に生まれる。仮名は鉄次郎、次いで平三。諱は親直次いで親尚。父は里見四郎左衛門親長。兄に里見四郎左衛門親賢がいる。靖国神社祭神。神名は里見平三之命、もしくは里見平三親尚之命。妾との間に女子と平太郎という男子がいた。 ==概要== 里見平三ははじめ鉄次郎と名乗り、天保13年(1843年)11月12日、武芸出精につき、藩公より白銀を賜った。弘化2年(1845年)12月24日、再び武芸出精を賞され三人扶持を賜る。弘化4年(1847年)9月、江戸藩邸にて藩公に槍術の上覧を受け、安政元年(1854年)切符を賜り小十人組に付属され、同5年(1858年)3月24日、馬廻組に転属する。万延元年(1860年)4月9日、御次番となり、12月5日、江戸詰となり、上公に扈従し京に上洛する。元治元年(1864年)願なく江戸に戻り、天狗党の乱に加わり、吉田薬王院を拠点に那珂湊にて幕府軍と合戦する〔『水府系簒』(財団法人水府明徳会彰考館、第41巻 里見四郎左衛門親宗)参照。〕。 降伏に伴い久留里藩に拘禁されるが明治元年(1868年)の春、磐城白河に出陣する。帰藩後、11月1日、水戸の弘道館戦争で討ち死にする。享年43。維新後、靖国神社に合祀される〔明石鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑2』(新人物往来社、1986年)187頁参照。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「里見平三」の詳細全文を読む
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