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里見義高[さとみ ただしげ]
里見 忠重(さとみ ただしげ)、実名は忠重『長伝時文書』。上野板鼻藩主、里見義頼の子。 == 生涯 == 慶長年間に上野国板鼻において1万石を与えられた。慶長18年(1613年)10月1日に職務怠慢を理由に改易され、岳父の酒井家次預かりの身となった。この改易は徳川家康の意向とも伝えられる。後に家次の家臣となり400石を知行し、子孫は同家家臣として存続した。その後仏門に入り、武蔵国鶴見に隠棲したが、病気に苦しむ民衆を救う為に発願し、即身仏となったといわれている。横浜市鶴見区の松蔭寺境内の忠重が入定したところに慈眼堂が建立されたとされており、現在も毎年一度供養が行われている。 『荘内古事抄』という書物には、忠重の息子である義久(靫負、1634年・<寛永11年>生)が延宝5年(1677年)に庄内藩酒井家に提出した里見家の由来書が所収されている。それによると、忠重は酒井家に仕官後に「里見外記」と称し、西郷氏との間に4子をもうけた後、慶安3年(1650年)9月に病死したという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「里見義高」の詳細全文を読む
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