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里見純吉[さとみ じゅんきち] 里見 純吉(さとみ・じゅんきち、1878年 - 1952年)は昭和前期の日本の事業家、社会教育家。 == 経歴 == 千葉県山武郡松尾町に生まれる。1882年、日本キリスト教会で受洗する。1903年、慶應義塾大学理財科を卒業する。直後、同校の助手兼舎監に就く〔舎監のときにグラッドストン伝を出版する。著書の覧参照。〕。1908年、三越に入社する。1919年、業界視察のために欧米に出張する。1921年、三越退社直後、国際労働機関の会議に商業使用人顧問として出席する。1923年、大丸の上席専務取締役として入社する〔里見の道義観として同業他社にやすやすと移転することを潔とせず、最初は断固断った。しかし、大丸社長の下村正太郎の度重なる、熱意ある懇請により入社することになる。その経緯については、下村正太郎「大丸に身を挺して」『大丸二十年史――(附)里見専務訓話集』(社史で見る日本経済史第60巻、ゆまに書房、2013年)の中7「里見専務のこと」および末田智樹「“大丸二十年史”にみる呉服系百貨店の経営精神と経営法」同上書の中5「里見純吉の入社経緯」参照。〕。1941年、大丸第2代社長に就任する。1950年、会長に就任する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「里見純吉」の詳細全文を読む
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