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重松 信弘(しげまつ のぶひろ、1897年2月24日 - 1983年11月13日)は、日本の国文学者。愛媛大学名誉教授。 源氏物語の思想研究における第一人者。没後出版された『源氏物語のこころ』(1990年5月、佼成出版社)には、膨大な重松源氏のエッセンスが凝縮されている。宮城女子専門学校の教え子たちによる源氏物語を読む会は、晩年まで継続され、機関誌『藝文』第16号(1984年10月)は「重松信弘追悼号」を出した。専門の源氏研究以外にも造詣が深く、国学、国語学、仏教思想、近代評論に通じ、多くの弟子を育てた。国語学研究の白方勝、近代文学研究の半田美永らが『藝文』(第16号)に追悼文を寄せている。妻の重松みよの著した『藍と紫とえのころ草』は、学者として一生を終えた重松の生涯を細やかな筆致で描いている。皇學館大学で薫陶をうけた半田美永は、作家の村上護(愛媛大の教え子)の紹介で講談社の正岡子規編集の仕事に関与したが、その経緯は「子規研究」に連載され、その一部が『佐藤春夫研究』(2002年9月、双文社出版)に収録されている。「文学のこころ」と「歴史的意義」を説くのが、研究の目的であり、基本であったという。 ==略歴== *1897年 - 愛媛県松山市に生まれる。 *1918年 - 愛媛県師範学校を卒業。以後、小学校や師範学校に勤める。 *1924年 - 東北帝国大学法文学部に入学。1927年に卒業し、同大学法文学部副手・仙台逓信講習所講師・宮城県女子専門学校講師など歴任。 *1929年 - 宮城県女子専門学校教授。 *1939年 - 建国大学教授。 *1945年 - 満洲国の解体により、自然退職。 *1946年 - 故郷の松山市に引揚。高等学校・専門学校・青年師範学校等に勤務。 *1949年 - 愛媛大学教育学部教授に就任。 *1953年 - 愛媛大学教育学部長に就任。 *1954年 - 東北大学から文学博士の学位を授与される。 *1962年 - 愛媛大学を定年退職。同大学名誉教授。 *1965年 - 梅光女学院短期大学教授。 *1966年 - 皇學館大学教授。梅光女学院短期大学は兼任教授。 *1970年 - 叙勲三等授瑞宝章。 *1973年 - 皇學館大学客員教授(1977年まで)。 *1983年 - 逝去。叙正四位。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「重松信弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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