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重松森雄 : ウィキペディア日本語版
重松森雄[しげまつ もりお]
重松 森雄(しげまつ もりお、1940年6月21日 - )は、日本のマラソン選手。福岡県出身。1965年に世界最高記録を樹立した。
==人物・来歴==
福岡県立福岡工業高等学校を卒業して、1959年九電工に入社する。
九州一周駅伝などのレースに出場するが、1961年に病気に襲われ、療養を余儀なくされる。このとき、将来をことを考えて大学を出ておくべきだと決意し、九電工を退社。
1962年福岡大学に入学するという異色の経歴の持ち主である。
1964年東京オリンピックの代表を逃したが、1965年4月のボストンマラソンに出場し、2:16:33の大会新記録で優勝。さらにそれから53日後の6月12日イギリスの第45回ポリテクニック・ハリアーズ・マラソン(ウィンザーマラソン)に出場し、前年の東京オリンピックでアベベ・ビキラが作った世界最高記録を更新する2:12:00の記録で優勝した。
この記録は、最後の2時間10分台の世界最高記録であると共に、日本人が樹立した最後の男子マラソン世界記録である。
引退後は岩田屋サニックスの女子陸上部の監督を歴任した。
現在、クラブチーム「ファースト・ドリームAC」(福岡市)の監督。
2015年、ボストンマラソンが毎年実施している「50年前の優勝者招待」の対象となり、渡米して「ボストンで優勝して自信がつき、世界記録につながった」とコメントするとともに、大会とは別に実施された5kmのファンランに参加した〔50年前の雄姿再び=ボストン優勝の重松さん-マラソン - 時事通信2015年4月20日(リンクは転載先)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「重松森雄」の詳細全文を読む



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