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野村万蔵(のむらまんぞう)は、能楽狂言方和泉流の名跡。四世から六世までは「万造」と名乗った。金沢の出身で、当代で9世を数える。 ==野村万蔵代々== ;初世野村万蔵 :(享保8年〔1722年〕 - 寛政2年3月3日〔1790年4月16日〕) :本名・保尚(やすひさ)。酒造業の次男であった。幼名八十郎。 ;二世野村万蔵(初世野村万之丞) :(明和2年〔1765年〕 - 文政6年8月29日〔1823年10月3日〕) :本名・品常(しなつね)。初代万蔵の養子。前名初世野村万之丞。 ;三世野村万蔵 :(寛政8年3月5日〔1796年4月12日〕 - 元治2年3月18日〔1865年4月13日〕) :本名・直英(なおてる)。二世万蔵の次男。長男が三世万之丞。 ;四世野村万造 :(天保10年6月8日〔1839年7月18日〕 - 明治9年〔1876年〕11月20日) :本名・義比(よしちか)。三世万蔵の二男。26歳で名跡を襲名し、父の跡を継ぎ町役人も務める。明治維新後は道を捨てて金沢博物館の書算方(事務員)となり、失意のうちに没。 ;五世野村万造(初世野村萬斎) :(文久2年7月21日〔1862年8月16日〕 - 昭和13年〔1938年〕1月14日) :幼名・良吉。四世万造の長男。明治16年(1893年)、野村家の本家に当たる野村与作を頼んで東京へ移住。当初は孤立し、生活のために市役所の戸籍係などを務めていたこともあったが、後に努力の甲斐あって東京の狂言界に大きな影響力を発揮するようになった。長男は六世野村万蔵、次男・万介は九世三宅藤九郎。 :''詳細は野村万造 (5世)を参照'' ;六世野村万蔵 :''野村万蔵 (6世)を参照'' ;七世野村万蔵(初代野村萬) :''野村万蔵 (7世)を参照'' ;八世野村万蔵(五世野村万之丞) :''詳細は野村万之丞 (5世)を参照'' ;九世野村万蔵 :''野村万蔵 (9世)を参照'' 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野村万蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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