|
野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(捕手)・監督(東京ヤクルトスワローズ監督(第17代)、阪神タイガース監督(第29代)、東北楽天ゴールデンイーグルス監督(第2代))、野球解説者、評論家、歌手、日本体育大学客員教授。元東北楽天ゴールデンイーグルス名誉監督。所属事務所はエフエンタープライズ。血液型はB型である。 愛称は「ノムさん」。 戦後初・捕手として世界初の三冠王、出場試合数歴代2位、監督としても出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算犠飛数歴代1位などの記録を持つ。 == 概要 == 野球選手としての現役生活はからの27年間にわたり、南海ホークス、 ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレーした。引退後はからまでヤクルトスワローズ、からまで阪神タイガース、からまで社会人野球のシダックス、からまで東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めた。からまで東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉監督〔楽天・野村克也名誉監督 - リアルライブ 2010年3月28日〕〔野村氏が楽天名誉監督退任 - 河北新報・2012年12月30日(2013年1月14日時点のアーカイブ)〕。2010年からはサンケイスポーツの野球評論家を務める。また、出身地の京丹後市名誉市民となっている。 通算試合出場数は日本プロ野球歴代2位(実働年数は歴代2位)、通算の安打、本塁打、打点、塁打数は歴代2位で、いずれもパ・リーグ記録である。球史に残る名選手であり、本人は「俺は王貞治さえいなければ三冠王だった」とぼやいている。選手・監督時代を通じ、勝つために様々な工夫や駆け引きを重ねており、野球理論・野球技術の発展に貢献している。 前述の「ノムさん」の愛称の他にも、「ノムやん」「ノムはん」「ムース」「和製のベーブ」などと呼ばれることがある。ムースとはロッキー山脈に生息する、普段のっそりしているが非常に敏感で頭がよい「へら鹿」のことであり、日米野球で来日したウィリー・メイズが「のそっとしているがいろいろな動きによく反応している」野村をこう呼んだことから名づけられた。 現妻はタレントの野村沙知代。息子は東京ヤクルトスワローズ一軍バッテリーコーチの野村克則。元妻との間にも息子が1人いる。継子にはプロ野球エージェントの団野村、ケニー野村がいる。 自著で幾度か「何よりも自分は働く人間」と述懐している通り、幼少の時から老年に差し掛かった現在まで、仕事に対する執着心は非常に強い。第一線を退くことなく野球を続け、オフや休日にも講演やテレビ出演、執筆活動など数え切れないほどの仕事をこなす。現役時代は捕手という負担の大きいポジションで歴代選手2位の出場数(3017試合)を記録し、プレイングマネージャーまで務めており、監督としての試合出場も通算3204試合と3000試合の大台に乗せている。また通算打席数(11970打席)と通算打数(10472打数)も歴代1位記録である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野村克也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|