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野村 宏伸(のむら ひろのぶ、1965年5月3日 - )は、東京都出身の俳優。血液型はB型。身長180cm。靴サイズ25.5cm。 == 来歴・人物 == 裕福な家庭で育ったが、都立高校1年生の時、化学工場の2代目だった父の会社が倒産。生活は一変し、家族と離れ離れになり、いとこの家や親戚の家などを数か月単位で転々とし暮らすことになる。父はタクシー運転手になり、再び家族が一緒に暮らすようになるも両親は後に離婚。年子の妹がいる。 1984年、映画『メイン・テーマ』のオーディションを妹が雑誌で見つけ、妹の推薦で応募。野村は俳優になるよりもその賞金欲しさに会場へ行き23000人の中から選ばれ、優勝賞金500万円を獲得したことから、俳優デビューし、日本アカデミー賞新人賞を受賞。その後、1浪での大学再受験も全て不合格だったことから役者一本でいくことを決心し、角川春樹に報告。1986年に『キャバレー』で主演、所属事務所を移籍後すぐにオーディションもなく1987年に『ラジオびんびん物語』(フジテレビ)でテレビドラマ初出演を果たす。この出演を契機にその後はとんとん拍子に仕事が舞い込みスターダムを駆け上がる。 デビュー以来数年間は、俳優というよりアイドル路線での芸能活動であった。『教師びんびん物語』でアイドル系の俳優としてブレイクしたことや、歌手活動も行っていたことからアイドルとして見なされていた。その後は役者としての演技活動を主力としていく。2005年には映画『コアラ課長』に主演したことで新たなる路線に活路を見出す。 歌手としてのデビュー曲「ウィンク・キラー」(作詞:松本隆/作曲:和泉宏隆/編曲:大村雅朗)はTHE SQUAREの「OMENS OF LOVE」(スクェアの10thアルバム『R・E・S・O・R・T』の1曲目に収録)のカバーであり、小泉今日子もカバーした。 1993年頃には28歳にして年収が1億円を突破しており、世田谷区に敷地110坪、建物80坪の豪邸を2億4000万円で建築するも、その後、友人らに計1億円弱を貸し1円も戻ってくることは無く、仕事も激減したことで借金を抱え生活は困窮していき、俳優業だけでは生活が出来なくなり、友人の自動車会社を手伝うなどして生計を立てた時期があった。その後は借金返済の為に豪邸を売却し1億円以上あった借金を2000万円まで減らし借金はゼロになったという。 2009年7月に離婚届を提出、2010年5月まで元妻と同居を続けていたが、同年6月から独身生活をスタートさせた。子供2人の親権は母親が持った。2013年2月から母と同居。2015年6月、15歳年下の女性と結婚を前提にした交際をし、同居していることが明らかになる。同年6月29日、前述の記事が掲載された時には既に再婚をしていたことが明らかになった。野村の50歳の誕生日である5月3日に婚姻届を提出していたという。7月4日には結婚報告会見を行い、夫人とのツーショット写真を披露した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野村宏伸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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