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野沢晃 : ウィキペディア日本語版
野沢晃[のざわあきら]

野澤 晁代表TIMELINE | SAMURAI BLUE サッカー日本代表 | 日本サッカー協会 /〕()は、広島県出身の元サッカー選手日本代表選手(全日本)。フォワード野澤正雄は実兄。
== 来歴 ==
広島高等師範附属中学(現広島大学附属高校)から1933年早稲田大学入学。早稲田大学ア式蹴球部で、川本泰三堀江忠男加茂健加茂正五西邑昌一らと関東大学リーグを四連覇、東京大学ア式蹴球部黄金期後の早稲田大学黄金時代に貢献した。大学在学中の1934年には日本代表に選出され、第10回極東選手権大会マニラ)出場。足を痛めていた川本に次ぐフォワードとして全3試合にフル出場。第2戦の対・フィリピン戦では、相手に胸を蹴られて肋骨が折れ、意識をなくほどの重症を負ったが、逆転の決勝ゴールを叩き込むなど3試合3得点と活躍した〔ケガの恐怖を除くドリブル練習|賀川サッカーライブラリー 〕〔後藤健生『日本サッカー史・日本代表の90年』双葉社、2007年、14、15頁〕。1935年早稲田大学卒業〔『早稲田大学ア式蹴球部50年史』WMW50年史編集委員会、1977年、332頁〕。
戦後は中国新聞の系列会社「夕刊ひろしま新聞社」に勤務。サッカーはこの会社でも続けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「野沢晃」の詳細全文を読む



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