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野田浩司 : ウィキペディア日本語版
野田浩司[のだ こうじ]

野田 浩司(のだ こうじ、1968年2月9日 - )は、熊本県球磨郡多良木町出身の元プロ野球選手投手)。
== 来歴・人物 ==
多良木高校から九州産交に進むも、同社野球部が廃部になったための特例措置(通常は3年勤めないといけないが、野田は二年しか勤めなかった。)としてドラフト指名対象となり、1987年のプロ野球ドラフト会議阪神タイガースから1位指名を受け入団。契約金は5000万円。1年目から規定投球回に到達するなど先発・リリーフどちらもこなし、入団3年目のに11勝を挙げ、翌は開幕投手に指名される。はリーグ2位に貢献。阪神時代には、地元熊本にちなんで「火の国伝説」との愛称で親しまれていた。
1992年オフ、優勝を逃したのは長打力のある打者が不足していたためという補強により、松永浩美との大型トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍する。当時、ヤクルトスワローズ監督の野村克也は、野田の決め球であるフォークボールが鋭く落ちて視界から消えるため「お化け」と呼び、トレードで去る時に「フォークのお化けが消えた」と喜んでいた。
移籍の際に同僚の和田豊が餞別代わりに野田自身のフォームのクセを指摘、それが移籍後の飛躍へと繋がる。
移籍1年目のに17勝を挙げ、最多勝を獲得。また4試合連続2桁奪三振も記録した。
オリックス移籍後、3年連続2桁勝利と200奪三振を記録する。同時期に野茂英雄伊良部秀輝が居たため最多奪三振のタイトルは獲得出来なかったが、8月12日の対近鉄戦にて、プロ野球タイ記録となる1試合17奪三振を記録。更に4月21日の対ロッテ戦では、1試合19奪三振の日本新記録を達成。もっとも、7回終了時に17奪三振に到達して当時の日本記録に並んでいたが、8回・9回とペースが落ちて1奪三振ずつに終わり、9回には同点に追いつかれて勝利投手とはなれなかった。同年からはオリックスのV2にも貢献。しかし、その後はフォークを武器にする投手には宿命とも言える右肘の故障で、以降は勝利なしに終わり、同年オフには右肘を手術するもに戦力外通告を受け、現役引退。
引退後、野球解説者・コーチ、実業家として活動。
解説者としては、テレビ大阪(2006年 - 2007年)、ラジオ関西J SPORTS各局で放送されるオリックスの主催ゲーム中継に出演するほか、ラジオ関西からの派遣という形でラジオ日本制作の関西での巨人ビジターゲーム中継も担当する(2001年 - 2003年、2005年 - )。コーチとしては、はオリックス、途中からまでは社会人野球・ニチダイの投手コーチをそれぞれ務め、にはニチダイを創部初の第77回都市対抗野球大会出場に導いた。
実業家としては、2005年11月より神戸市中央区三宮料理店「まる九」を経営している〔ありえへん∞世界、テレビ東京、2012年4月24日放送より〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「野田浩司」の詳細全文を読む



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