|
野田 理一(のだ りいち、1907年11月10日 - 1987年2月22日)は、日本の詩人、美術評論家、随筆家。三重県津市出身。 戦前より詩作、また海外美術の鑑識眼も醸成していた。荒地同人。大正時代生まれがほとんどの同人の内で年長であった。自らの人生は語らず、作品のみを残す。モダニズム詩の極北といった一見難解な作風ながら、観念の浮薄に陥らない態度を一筋持つ。美術評論では早くからジョン・ケージ、フンデルトヴァッサー、ルーチョ・フォンタナなどを紹介する。また地元の民芸へも深い理解を示す。 == 詩集・評論 == * 『願はくは』(1937年7月)現代詩12篇 * (美術論考, 1962年) * (美術論考6篇, 1964年1月) : 論集としての題は無く、個々の論考題を表紙に列挙している。 * 『記録(1962-1951)43・論考7』(摂津, 湯川書房 1967年11月-1971年9月 印刷製本) : 前半は現代詩再録43篇、後半は美術論考。 * 『日野椀の転生』(摂津, 湯川書房 1972年3月) : 単篇論考、写真貼付 * 『非亡命者(1935-51)』(1974年)現代詩39篇 * 『氏郷追悼 そのほか』(1975年) * 『アアの共同体(1964-76)』(1976年)現代詩66篇、論考2篇。 * 『大津絵・大津絵』(1978年) * 『大津絵覚書』(1979年7月) * 『対応(1975-78年)』(1980年5月)現代詩27篇 * 『ドラマはいつも日没から(1978-82)』(思潮社 1983年3月)現代詩81篇 * 『夜が振向く』(思潮社 1985年9月)現代詩66篇 * 『古い手帖とその時代』(1985年) : 1954-60年頃の美術論考32篇、写真54枚。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野田理一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|