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野老山 吾吉郎(ところやま あきちろう、弘化3年10月10日(1846年11月28日) - 元治元年6月27日(1864年7月30日))は、江戸時代末期(幕末期)の土佐藩士。名を輝朗、のち所山五六郎を名乗った。 == 概略 == === 野老山氏について === 野老山氏(山野辺氏)は元は伊賀国の国人であり、6世紀後半に蘇我氏の傍流(後の長宗我部氏)が四国に赴任するのに従い奈良を離れ、以後、長宗我部氏に代々仕えた。四国平定の際に、功績として野老山一帯(高知県高岡郡)の所領を賜った事が野老山姓の由来であるとされる。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで長宗我部盛親が西軍に与し、改易となった際に郷士となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野老山吾吉郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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