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野間五造
野間 五造(のま ごぞう、慶応4年3月10日〔『新選代議士列伝』p.235〕(1868年4月2日) - 昭和21年(1946年)2月18日〔衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。〕)は、日本の衆議院議員(憲政本党)。ジャーナリスト。 == 経歴 == 岡山藩士野間隼太の長男として生まれる〔『早稲田大学紳士録』pp.657-658〕。岡山中学校を卒業後、同志社英学校などを経て、1887年(明治20年)に東京専門学校に入学した〔。1888年(明治21年)に英語科を卒業し〔、翌年には邦語政治科を卒業した〔。1890年(明治23年)、『東京日日新聞』の記者となる〔。翌年、清に渡って広東同文館で中国語を学び、また『東京日日新聞』『東京新報』特派員として長江流域の哥老会反乱を報じた〔。1893年(明治26年)、沖縄県に渡って琉球新報社を興し、主筆となった〔。翌年、日清戦争が勃発すると戦地通信員として渡清した〔。1895年(明治28年)より台湾に移り、台湾商工会や台湾紳商協会を興し、主幹を務めた〔。 1898年(明治31年)、第6回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第7回衆議院議員総選挙でも再選された。 その他、早稲田大学評議員を務め、憲法学を講じた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野間五造」の詳細全文を読む
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