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野馬台詩 : ウィキペディア日本語版
野馬台詩[のばだいし]
野馬台詩野馬臺詩耶馬台詩、やばたいし、やまたいし)とは、日本平安時代から室町時代に掛けて流行した予言中国予言者宝誌の作とされるが、偽書の可能性が高い。偽作者については不明で、日本で作られた可能性はあるが、中国で作られたのは本当とする説もある。
==概要==
現存する文献では、「延暦九年注」(790年)として、鎌倉時代に成立した『延暦寺護国縁起』に引用された逸文が初出といわれる。引用された内容が事実ならば、奈良時代末期には作られていたことになる。また、平安時代には、『日本書紀』読解の講義録である『日本紀私記丁本』(936年承平6年)の問答集に言及がある。それによれば、日本を「姫氏国」とする説があるかという質問に対し、宝志の予言に「東海姫氏の国」とあり、皇室は女神天照大神を始祖とし、また女帝の神功皇后がいるから、日本を姫氏の国と称したという回答が収録されている。
平安時代末期に成立した『江談抄』によれば、遣唐使吉備真備玄宗に謁見した時、解読を命じられた。詩は文がバラバラに書かれていて、まともに読めないようになっていた。真備が困り果てて日本の神仏に祈ると、蜘蛛が落ちてきて、蜘蛛の這った後を追うと、無事読むことができたという。また、現存の前半部分には、野馬台詩に関する部分を欠くが、同じく平安末成立の絵巻物である『吉備大臣入唐絵巻』も、同じ事柄を描くものである。
平安時代後期から、終末論の一種として、天皇は百代で終わるという「百王説」が流布するようになった。鎌倉時代初期成立の慈円の『愚管抄』には、「人代トナリテ神武天皇ノ御後百王トキコユル。スデニノコリスクナク八十四代ニモナリニケル中ニ。保元ノ乱イデキテ後ノコトモ。又世継ガ物ガタリト申物ヲカキツギタル人ナシ。少少アルトカヤウケタマハレドモ。イマダエ見侍ラズ。」とあり、百王説が説得力を持っていたことがわかる。
南北朝時代には天皇が百代に達した(現在の皇統譜では、後小松天皇で百代。しかし、当時は北朝を正統としており、他にも即位を認められていなかった天皇もいるため、数え方によって数代前後する)。1402年足利義満は、坊城俊任に「百王」の端緒を問うた。俊任は吉田兼敦に「百字とはただ衆多の数のことで、百の字に数の百という意味はない」と教えてもらったという。『古事記』に「百王(もものきみ)」とあるのは確かに兼敦の解釈で正しいのだが、今谷明は、皇位簒奪を企んだ義満が、『野馬台詩』を念頭に質問したのではないかと推測している。
江戸時代に入ると、野馬台詩のパロディが作られるようになった。幕末には、鯰絵の一種である『野暮台詩』、浦賀への黒船来航を詠んた『野暮代之侍』、南部一揆を詠んだ『南部一揆野馬台詩』などが作られている。『野蛮台詩』、『屁暮台詩』などもある。これらは、『野馬台詩』の伝承に則り、暗号形式で書かれていて、ある規則に従うと、正しく読めるようになっていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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