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仇衡王[きゅうこうおう]
仇衡王(きゅうこうおう、生没年不詳)は、金官伽倻の第10代にして最後の王(在位:521年 - 532年)。譲王とも。廟号は世宗。父は鉗知王、母は淑である。王妃は桂花、息子に金奴宗、金武徳、金武力〔新羅第30代文武王は、仇衡王の玄孫で金武力→金舒玄→文明王后(金文姫)→文武王の順。〕がいる。 日本書紀によると、529年4月(継体天皇23年)に仇衡王が来日し、その月のうちに帰国したと記されている。 == 異説 == 韓国の言語学者で姜吉云(カン・ギルウン)の説によると、欽明天皇(509年 - 571年、在位:539年 - 571年)は、仇衡王が日本に移住後に「志帰嶋大王」として即位したものとしている。日本でもドイツ文学者で古代史の愛好家だった鈴木武樹が同様の荒唐無稽の主張をしていた〔鈴木武樹『日本古代史99の謎』228頁、及び『古代史の魅惑と危険』155頁・173頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仇衡王」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Guhyeong of Geumgwan Gaya 」があります。
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