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金 信(キム・シン、、1922年9月21日-)は大韓民国の軍人、政治家、国会議員。本貫は安東金氏。号は瑞言()。父は独立運動家の金九。 == 経歴 == 1922年9月、上海に生まれる。生まれて1年半後に母が病死したため祖母が面倒を見た。しかし生活が苦しかったので中国の孤児院で暮らした。 安徽省屯溪中学校に入学。日中戦争勃発に伴い疎開。四川省重慶にある中央大学付属中学校を卒業。1943年、昆明西南連合大学哲学科修了。1945年4月、空軍軍官学校第18期初級班卒業。卒業後、ラホールの印度分校で訓練を受け、のちにアメリカへ渡り、1947年6月にランドルフ航空学校を卒業。 1947年9月に帰国。1948年に家族や独立運動家の遺体を引き取るため、重慶に向かった。同年8月、陸軍航空基地隊(韓国空軍の前身)入隊、任少尉(軍番50010番)。同年9月、陸軍航空司令部飛行部隊(隊長:金貞烈大尉)小隊長。 1950年5月、陸軍参謀学校卒業。 1950年6月、朝鮮戦争が勃発するとマスタング操縦要員として板付に派遣される。 1950年7月、空軍本部作戦局長。 1951年8月、第1戦闘飛行団第101基地戦隊長。11月、第1戦闘飛行団副団長兼第10戦闘飛行戦隊長。 1952年6月、第1戦闘飛行団第15訓練戦隊長。 1953年7月、アメリカ空軍大学修了、空軍本部作戦局長。9月、第10戦闘飛行団長。 1956年9月、空軍本部行政参謀副長。 1959年7月、空軍参謀次長。 1960年8月、空軍参謀総長。 1962年、予備役編入、駐中華民国大使。 1966年6月、アジア太平洋地域閣僚会議代表。 1971年、民主共和党ソウル15地区(竜山区)党委員長。同年5月、第8代国会議員(ソウル竜山地区、民主共和党)落選。同年11月、交通部長官。 1972年9月、第6次日韓閣僚会議代表。 1975年4月、蒋介石総統弔問使節。 1976年2月、第9代国会議員(維新政友会2期)。同年3月に国会交通逓信委員会委員、維新政友会政策委員会交通逓信文科委員長。 1978年2月、国会農水産委員長。 1986年、韓国独立記念館理事長。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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