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金光秀憲 : ウィキペディア日本語版
金光秀憲[かねみつ ひでのり]

金光 秀憲(かねみつ ひでのり、1935年6月2日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手外野手)。右投左打。
== 来歴・人物 ==
浪華商業高等学校大阪府立清水谷高等学校から関西学院大学へ進学。関西六大学リーグでは1955年秋季リーグで優勝。リーグ通算73試合に出場し、263打数88安打、打率.335、2本塁打の成績を残した。
1959年に当時の大洋ホエールズに入団し、1年目から一軍に定着。翌1960年シーズン終盤には故障の黒木基康に代わり右翼手、三番打者としてリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは第1戦で決勝本塁打、第3戦で2適時打を放つなど活躍、首位打者となる。1961年には左翼手、五番打者の定位置を獲得したが、翌年には長田幸雄が台頭しポジションを譲る。その後も長く外野の控えや代打の切り札として活躍。1969年に引退。翌1970年からは大洋の打撃コーチを務め、1974年に退団。
その後は横浜のスイミングクラブの支配人などを経て、静岡県函南町で温泉管理業を営む。
現在は、関西学院大学野球部OB会の会長を務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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