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金地院(こんちいん)は京都府京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺院。小堀遠州作の庭が国の特別名勝に指定されている。 南禅寺の塔頭の1つで、江戸幕府の法律外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られる。 僧録司が置かれ一塔頭寺院に留まらず江戸時代を通じて五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ事実上の最高機関とされた。また10万石の格式を持ち寺大名とも呼ばれた。 家康の遺言による東照宮があり幕府による改修が度々される。京都三名席の茶室がある。 == 歴史 == 応永年間(14世紀末 - 15世紀初頭)に、室町幕府4代将軍足利義持が大業徳基(南禅寺68世)を開山として洛北・鷹ケ峯に創建したと伝えるが、明らかではない。 慶長10年(1605年)、徳川家康の信任が篤く、江戸幕府の幕政に参与して「黒衣の宰相」と呼ばれた崇伝(以心崇伝、金地院崇伝)によって現在地に移された。 慶長15年(1610年)には駿府城内に駿府金地院が、元和5年(1619年)には江戸城内北ノ丸に江戸金地院が開かれ、駿府と江戸における崇伝の活動拠点となった。 崇伝は元和5年(1619年)、幕府より僧録に任ぜられ、それまで相国寺塔頭鹿苑院院主が務めていた僧録職は以後、幕末まで金地院住持が務めることとなり、五山十刹以下の禅寺を統括する最高機関となった〔『国史大辞典』10巻、p.781〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金地院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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