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金城哲夫 : ウィキペディア日本語版
金城哲夫[きんじょう てつお]

金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年7月5日 - 1976年2月26日)は、日本の脚本家沖縄県島尻郡南風原町出身。第一期ウルトラシリーズを企画し、脚本面から支えた作家として知られる。なお「金城」姓は本来「カナグシク」「カナグスク」と発音し、沖縄県ではきわめて一般的な名字(苗字)のひとつである〔沖縄県の名字を参照〕。
== 来歴 ==
那覇高校の受験に失敗、上京して玉川学園高等部、玉川大学文学部教育学科卒業。玉川時代に、恩師である上原輝男の影響を受け、脚本に興味を持ち始める。一度帰郷し映画『吉屋チルー物語』を製作。上原より教え子の一人だった円谷皐を介して円谷英二を紹介され、東宝特撮映画で健筆を振るっていた関沢新一から脚本家としての指導を受ける。関沢の薫陶による「ポジティブな娯楽(エンターテインメント)志向」は以後の金城の作風の根幹をなした。
1963年円谷プロダクションへ入社、企画文芸部の主任として『ウルトラQ』『ウルトラマン』『快獣ブースカ』『ウルトラセブン』など、黎明期の円谷プロが製作した特撮テレビ映画の企画立案と脚本を手掛ける。『Q』『マン』の相次ぐ高視聴率により怪獣ブームを巻き起こし順風満帆かと思われたが、大人向けの特撮を目指した1968年製作の『マイティジャック』は、平均視聴率が8.3%と低迷したために1クールで打ち切りとなってしまう。挽回を図った『怪奇大作戦』は、平均視聴率22%と健闘したものの、スポンサーが「ウルトラに比べて低い」という判断を下したために、予定の2クールで終了。番組の受注が途絶えた円谷プロは、経営状態の悪化に伴い大幅なリストラを敢行し始める。その煽りで文芸部も廃されて以前のような発言力を失った金城は、今後はシナリオライターではなくプロデューサーへ専念するよう迫られたことで1969年に円谷プロを退社する。沖縄県に帰郷しラジオパーソナリティーや沖縄芝居の脚本・演出、沖縄海洋博の構成・演出などで活躍した。
1976年2月23日、泥酔した状態で自宅(後述の「松風苑」の敷地内。現在資料館)2階の仕事場へ直接入ろうとして足を滑らせ転落〔「出先から帰宅した際に仕事場の玄関扉が施錠されていたが、母屋に鍵を取りに戻るのが面倒で、たまたま開いていた窓から入ろうとして転落したもの」と推定されている。〕。直ちに病院に搬送されたが、3日後の2月26日に脳挫傷のため死去。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「金城哲夫」の詳細全文を読む



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