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金子元三郎 金子 元三郎(かねこ もとさぶろう、1869年5月19日(明治2年4月8日)〔『人事興信録』第4版、か86頁。〕 - 1952年(昭和27年)4月11日〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』195頁。〕)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員、初代小樽区長。 ==経歴== 越後国三島郡寺泊町(現新潟県長岡市)で資産家の家に生まれる〔『北海道歴史人物事典』103頁。〕〔『北海道人名辞書』第二版、202-203頁。〕。幼少時に北海道松前の富豪、先代・金子元三郎の養嗣子となり、その後、養父と共に小樽に移る〔。 東京に遊学し、頭山満、井上角五郎らと交わる〔〔。1891年、中江兆民を迎えて『北門新報』を創刊し、自由民権を唱道した〔〔。1900年1月、小樽区の初代区長に就任し、道路、水道、港湾、学校施設の整備を推進した〔。1904年3月、第9回衆議院議員総選挙で北海道庁小樽区から出馬し当選〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』179頁。〕。その後、第12回、第13回総選挙で当選し、衆議院議員を通算三期務めた〔。1917年10月13日、衆議院議員選挙法違反事件について札幌地方裁判所での裁判確定により、三期目の途中で議員を退職した〔『官報』第1565号、大正6年10月19日。〕。また、1925年9月29日、貴族院多額納税者議員に就任し〔『官報』第3931号、大正14年9月30日。〕、研究会に所属し1939年9月まで在任した〔。 実業界においては、水産業、海運業、農牧場などを経営し、豊山銀行頭取、丁酉銀行頭取、金子 (資)社長、北海道造林 (資) 社長、定山渓鉄道 (株) 社長などを務めた〔〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金子元三郎」の詳細全文を読む
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