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金子 哲雄(かねこ てつお、1971年(昭和46年)4月30日 - 2012年(平成24年)10月2日)は、日本の流通ジャーナリスト、プライスアナリスト、中小企業診断士(経済産業大臣登録)。各種メディアに登場する際には、肩書きを「流通ジャーナリスト」に統一していた。マネージメント事務所は株式会社オフィス・トゥー・ワン。 == 人物 == 千葉県生まれの神奈川県横浜市育ち〔ABC朝日放送 『おはよう朝日です』プロフィール 〕。子供の頃より、スーパーのチラシを比較するのが好きだった。そのことが流通ジャーナリストになる理由になった〔金子哲雄「手術できない場所に手術できない大きさ」肺カルチノイド告白 - J-CASTニュース 2012年10月3日〕。慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部へ進学。姉二人と弟一人がいたが、いずれも幼くして病死したため、姉弟のぶんも生きようと意識していたという〔流通ジャーナリスト 金子哲雄さん - TOKYO FM『ゆうちょ LETTER for LINKS』2011年8月14日分 〕。 大学卒業後の1994年(平成6年)に、株式会社ジャパンエナジー(JOMO、現在のJXホールディングス)へ入社した。 同社と競合する石油会社系列のガソリンスタンドを対象に、ガソリンなどの店頭価格調査に従事していた〔【私の職務経歴書】第3回:金子哲雄 (3/6) 宅ふぁいる便〕。しかし、10億円以上の資産を持つ顧客との人脈を築いたことなどをきっかけに、入社からわずか1年でコンサルタントとして独立〔【私の職務経歴書】第3回:金子哲雄 (4/6) 宅ふぁいる便〕。1999年(平成11年)からは、「流通ジャーナリスト(兼プライスアナリスト)」という肩書きで、価格調査のセンスやノウハウを生かした記事を流通専門誌や女性誌へ執筆するようになった〔【私の職務経歴書】第3回:金子哲雄 (5/6) 宅ふぁいる便〕。小沢一郎政治塾の4期生だった。2009年(平成21年)、京都産業大学大学院経済学研究科(通信教育課程)を修了。 2008年(平成20年)頃から、テレビ・ラジオへの出演を開始〔流通ジャーナリスト・金子哲雄さん、肺カルチノイドのため死去 - FNN 2012年10月3日〕。2010年(平成22年)には、レギュラー番組4本の出演を果たしブレイクした〔急逝した金子哲雄さん 手作り名刺で芸能人から評判だった - NEWSポストセブン 2012年10月2日〕〔流通ジャーナリスト・金子哲雄氏の週替わり名刺が芸能人に人気 - NEWSポストセブン 2010年12月27日〕。 一般社団法人・丸の内買物研究所の主席研究員を務めた。かつては自身の造語である「国際値切リスト(こくさいねぎリスト)」という肩書を用いていた。 主な著書に、『「値切り」のマジック』(講談社)・『超三流主義』(扶桑社)・『「激安」のからくり』(中公新書ラクレ)などがある。 同業者の間では、通常の氏名・連絡先に加え、似顔絵・スケジュール・月ごとに更新されるプロフィールなどを記入し通常サイズより2倍横長の、週替わりの手製の名刺が評判だった〔〔。 2012年(平成24年)10月2日午前1時18分、肺カルチノイドのため、東京都内の自宅で死去〔金子哲雄氏死去=流通ジャーナリスト 時事通信 2012年10月2日閲覧〕。。金子の訃報に接し、生前に交友があった者たちが追悼のメッセージを発表している〔番組共演者らが金子さん偲ぶ、尾木氏沈痛「金子さん…金子さん…」 ナリナリドットコム 2012年10月3日閲覧〕。同年11月22日、生前に書き上げた著書「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」が出版された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金子哲雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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