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山岡 賢次(やまおか けんじ、1943年(昭和18年)4月25日 - )は、日本の政治家。生活の党と山本太郎となかまたち所属。 元衆議院議員(5期)、元参議院議員(2期)。自由党国会対策委員長(第4代)、民主党副代表、国民の生活が第一代表代行、衆議院農林水産委員長、民主党国会対策委員長(第13代)、国家公安委員会委員長(第85代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)、拉致問題担当大臣などを歴任した。 == 概要 == 城北高等学校を経て慶應義塾大学法学部卒業後、安田生命の人事課、アメリカ留学を経て1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で当選し政界入りした。自民党では清和会(福田赳夫→安倍晋太郎派)に所属していたが、1991年(平成3年)に加藤六月が率いる政眞会(加藤グループ)の旗揚げに参加。 1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で衆議院議員に転身し、翌1994年(平成6年)、加藤六月と共に自民党を離党し新生党へ入党した。新生党の解党とともに新進党入りしたが、1996年(平成8年)、第41回衆議院議員総選挙で落選した。4年後の2000年(平成12年)、第42回衆議院議員総選挙では自由党から立候補し、比例北関東ブロックで当選し政界に復帰。2003年(平成15年)の民由合併にともない民主党入りし、以後、自身の選挙区である、比例北関東ブロックで当選を重ねた。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では小選挙区で当選した。 野田内閣にて国家公安委員会委員長兼内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)、拉致問題担当大臣に任命され初入閣したが、第179回国会の会期末である2011年(平成23年)12月9日に野党が提出した問責決議案が可決された(同時に一川保夫防衛大臣の問責決議も可決)。任命者である野田佳彦内閣総理大臣は更迭しない方針を明言し、辞任はしなかったが〔野田首相:一川・山岡氏の続投明言…年明け国会、五里霧中 毎日新聞 2011年12月9日〕、2012年(平成24年)の野田改造内閣発足に伴い退任した。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では日本未来の党から立候補するも小選挙区で敗北、比例復活もならず落選。2013年(平成25年)7月21日の第23回参議院議員通常選挙では生活の党の公認を受け、比例区で出馬したが、生活の党は1議席も獲得できなかったため落選した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山岡賢次」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kenji Yamaoka 」があります。 スポンサード リンク
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