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金宗瑞[きむ じょんそ きんそうずい] 金宗瑞(きん そうずい、キム・ジョンソ、1390年-1453年(端宗2年))は、李氏朝鮮初期の武臣・政治家。本貫は、順天。 世宗が最も寵愛した家臣として知られる。 == 経歴 == 1382年に、都摠制の金錘の息子として生まれる。1405年に、官職に就く。世宗が即位した、1419年に司諫院右正言になり以後、持平、執義、右副代言を歴任する。1433年、咸吉道都観察使となり、この地に六鎮を切り開き平定に貢献。豆満江まで、国土を拡大。1446年に、議政府の右賛成になる。1451年には、左賛成・知春秋館事になり鄭麟趾らと「高麗史」を編纂。同年10月に、右議政になる。1452年には、「世宗実録」を監修する。また、左議政となり、幼い君主の端宗を補佐することとなる。しかし、王権の強化を目指す首陽大君(後の世祖)、および既に首陽大君側に寝返った鄭麟趾らと対立し1453年に癸酉靖難により、息子共々、惨殺される。そのため、「高麗史」編纂の責任者であったが、編纂者名簿から名前を削られている。死から約240年後の粛宗の時代に復権された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金宗瑞」の詳細全文を読む
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