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金履祥(きん りしょう、1232年 - 1303年)は、南宋末期の儒学者。字は吉甫、吉父。号は仁山。 == 略伝 == 金履祥は、後州路蘭溪県の人、南宋・理宗の紹定4年1231年生まれ 。宝祐2年(1254年)から24歳で何基に、後に何基の弟子である王柏に学んだ。 徳祐年間に、史館編修の職に推挙されたが、官途に就かなかった。 南宋が滅亡した後は、金華山中に朱子学の講義を行う私塾を開き、講学に専念した。 主な弟子に許謙がいる。 元の大徳7年、71歳で没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金履祥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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