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金 平一(キム・ピョンイル、 1954年8月10日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の駐チェコ大使。金日成と金聖愛の息子で、金正日の異母弟。金英一は同母弟、金慶真は同母妹。名前の表記については「金平日」と書かれたこともある。〔『中央公論』1994年9月号より 日本財団図書館 〕 == 経歴 == 若年の頃から護衛総局で金日成の警護を任されており、護衛司令部装甲車隊隊長や人民武力部の朝鮮人民軍総参謀部作戦局副局長なども務めていたとされる。 金日成に風貌が似ており、また成績が優秀であったことから、かつて金日成は『党は金正日に、軍は金平一に、政治は金英一〔金平一の1歳違いの実弟。2000年に死去したと推測されている。〕に任せる』と言っており、金平一も金日成の後継者の一人に目されていたとされる。 しかし、抗日パルチザンの元老達が後継者に金正日を推し、1974年2月の朝鮮労働党第5期中央委員会第8回総会において、金正日が政治委員会委員(現:政治局委員)に選出され、金日成の後継者として「推戴」されたことが正式に発表されると、金平一は権力の核心層から疎んじられるようになる。1977年に金日成総合大学を卒業した。 その後、金平一を権力の核心から遠ざけるために、欧州の東側諸国へ事実上放逐されることになり、1979年に駐在武官としてユーゴスラビア社会主義連邦共和国に赴任した。1988年にハンガリー人民共和国において自身初となる特命全権大使の職に就任したが、翌1989年にハンガリーの社会主義体制が崩壊して第3共和国が成立し、韓国がハンガリーと国交を開くと、駐ブルガリア人民共和国大使に転出した。 1994年に駐フィンランド大使に転出した。韓国の当局者の話によると、同年の金日成の葬儀には帰国して出席したが、記録映像からは削除されたという。1998年に北朝鮮が財政上の問題からフィンランド大使館を閉鎖すると、同年1月から駐ポーランド大使に就任する。 2015年1月、17年間務めた駐ポーランド大使を離任し、駐チェコ共和国大使に就任した〔金正日の異母兄弟チェコ大使に異動 朝鮮日報(2015年1月21日)〕。 金正日や金正恩から疎まれ、帰国すら許されていない、若しくは帰国した際に平壌の自宅に軟禁されたこともあるとの憶測もあったが、実際には休暇等と称して毎年家族とともに帰国しているという。2009年7月にも休暇のため帰国し、平壌に滞在していたことが外国報道機関によって伝えられている。ただし韓国当局者の話によると、金正日の葬儀時には、ポーランドから帰国せず葬儀にも参加しなかったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金平一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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