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金 素月(日本語読み;きん そげつ、朝鮮語読み;キム・ソウォル、1902年陰暦8月6日 - 1934年12月23日)は、朝鮮の詩人である。本名は金 廷湜(キム・ジョンシク)。素月は号。 1920年、20歳で忽然と文壇に現れ、流れるような朝鮮語でもって情と恨(ハン)を独特の律調で表現した。天才詩人と呼ばれたが、32歳で自らその命を絶った。民謡風の詩人と称され今も愛され続けている国民的詩人である。彼の詩のうち4篇が『朝鮮詩集』〔 〕に収録されている。1990年9月に韓国の「この月の文化人物」選ばれた。 == 略歴 == 1902年陰暦8月6日、平安北道亀城郡旺仁洞で生まれた。父は金性燾。6歳下の妹・金仁姐がいる。100日後に平安北道定州郡郭山面南端洞の父の家に移った。裕福な家庭であったが、素月が2歳のとき、父が日本人夫に袋叩きにされる事件があり、父が精神異常に陥ってしまう。そのことが、後の素月の人生に暗い影をさす。幼少の頃は祖父に漢文を習い、祖母に昔話を教わった。7歳で南山学校に入学した。友達もなく、いつも独りでいたという。 南山学校を卒業するとすぐに祖父の紹介で洪時玉家の娘、丹実と結婚した。学業を優先したい素月としては気の進まない結婚であった。 五山学校中学部で出会った教師、金億の影響で詩を書き始める。そして金億の口添えで文芸雑誌『創造』に「詩人の春」など五篇の詩を発表した。1922年、培材学校の5学年に編入した素月は、『開闢』を通して早くも37篇の詩を発表している。培材学校を卒業後、渡日。関東大震災で帰国した1923年に発表した詩は、彼の代表作となった。 1925年、詩集『つつじの花』を出版したときが彼の頂点であった。その後、詩作が活発でなくなっていく。1926年頃から東亜日報の支局を運営するようになるが、思うようにいかなかったようで、土地を売って運営資金を捻出したが行き詰まり、3年後に事業をやめた。経済難が素月を追い込み、酒に身を委ねるようになった。 1934年、9年ぶりに故郷に戻り、墓参りをした。そして市場で阿片を買い求めた。12月23日、服毒自殺を遂げた。亀城郡西山面に埋葬されたという。1968年、韓国日報社がソウルの南山に「素月詩碑」を建てた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金素月」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kim Sowol 」があります。 スポンサード リンク
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