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金 應善(キム・ウンソン、1881年5月26日 – 1932年8月2日)は、大韓帝国軍及び大日本帝国陸軍の軍人。 == 人物 == 平安南道安州の出身だが、出生に関して詳しい事は判っていない。日清戦争が勃発した際、宇都宮太郎の目に留まる事となり、1896年に日本へ留学した。以降は宇都宮の弟同然の扱いを受ける様になり、後に宇都宮金吾(うつのみや・きんご)という日本名を名乗る事となった。 1903年11月30日に陸軍士官学校(15期)を卒業し、近衛歩兵第1連隊に見習士官として服務し、日露戦争にも参戦した。 以後、大韓帝国武官となり、陸軍武官学校学徒隊附となった。1905年には特派大使随行員として訪日した際は、日本政府から勲六等単光旭日章を授与された。 1907年に大韓帝国軍が解散した時には、皇太子李垠付の陪従武官に任ぜられ、ほぼ時を同じくして、日露戦争の際の功績が認められた事から、勲五等双光旭日章及び恩賜金500円を授与され、同年11月に李垠の日本留学に随行した際は、勲四等瑞宝章を授与された。 1910年に日韓併合条約が締結された際は、旧大韓帝国軍将校の中でも優等の評価を受け、朝鮮駐剳軍司令部所属となった。以降は、1920年4月26日に、勅令第118号が発せられた事により、朝鮮軍人たる陸軍副領から一般の中佐に転じ、1923年には大佐、1931年4月10日には少将に進級した。 1931年に予備役に編入されて以降は、趙性根が委員長を務める“満蒙在住同胞後援会”の委員を務めたが、翌1932年に亡くなった。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金應善」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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