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金忠善 : ウィキペディア日本語版
沙也可[さやか]
沙也可(さやか、1571年? - 1643年?)は、文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下として朝鮮に渡ったが、投降して朝鮮軍に加わり、火縄銃の技術を伝えて日本軍と戦ったとされる人物。現代朝鮮語発音ではサヤガとなる。朝鮮では金忠善(キム・チュンソン、ハングル表記:김충선)の名で知られ、字は善之、慕夏堂と号したという。韓国においては英雄扱いされているが、その活躍の実態は不明な点も多い。
== 伝承 ==
沙也可の活躍については、彼の伝記『慕夏堂文集』に詳しく書かれている。『慕夏堂文集』によると、1592年4月に加藤清正の先鋒部将として釜山に上陸したが、朝鮮の文化を慕い、また秀吉の出兵に大義なしとの思いから、3000人の兵士と共に朝鮮側に降伏した。沙也可は火縄銃の技術を朝鮮に伝え日本軍とも戦い、戦後その功績を称えられ朝鮮王から金海金氏の姓を賜り(賜姓金海金氏)、金忠善と名乗って帰化人となった。現在の大邱近郊の友鹿に土地を与えられ住した。その後も女真族による侵略を撃退するなどの功績により、正二品の位階まで昇進した。
2013年現在でも朝鮮半島では英雄とされている。韓国の大邱市郊外の達城郡嘉昌面(カチャンミョン、)友鹿里(ウロンリ、)には、沙也可の後孫の1族が暮らしている。1992年には韓国で記念碑が建立された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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