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金 昌圭(キム・チャンキュ、、1920年3月7日 - )は大日本帝国陸軍の軍人及び大韓民国の軍人、政治家、企業家。本貫は金寧()。号は東海()。 == 経歴 == 1920年3月、京畿道始興に生まれる。京畿中学校卒業。1941年7月、陸軍士官学校第55期卒業。陸軍航空整備学校卒業。第2次世界大戦終戦時は飛行整備大隊長。 1948年、ソウル大学校機械工学科卒業、同大学航空工学科講師。 1950年3月、韓国陸軍入隊。任大佐、国防部兵器行政本部長。同年12月、韓国空軍に転科し参謀総長補佐官。 1951年7月、准将に昇進、空軍本部行政参謀副長。 1952年、空軍士官学校校長。 1953年、国防部第3局長。 1954年、軍事休戦委員会委員、任少将。 1955年3月、空軍本部企画参謀副長。 1956年12月、空軍参謀次長。 1958年12月、空軍参謀総長、任中将。 1960年8月、予備役編入。 1962年8月、大韓重石鉱業会社社長。 1964年、忠州肥料会社顧問。 1965年、嶺南化学会社社長。 1970年、一宇海運会社理事。 1973年、第9代国会議員(統一主体国民会議、維新政友会)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金昌圭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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