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金桂冠(キム・ゲグァン、1943年6月6日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の外交官。北朝鮮外務省内では、主に対米政策を担当している。 ==来歴== 平安北道雲山郡出身。平壌国際関係大学卒業。フランス語を専攻。アルジェリアに留学経験がある。1969年、アルジェリアで外交官生活を始める〔「北朝鮮の金桂冠はほほえむ刺客」海外でニックネーム 中央日報 2007年2月16日〕。在アルジェリア大使館書記官を務めた〔書記官の任官に関しては、1973年であるという。〕後、朝鮮民主主義人民共和国外交部(現:外務省)へ。 *1975年 外交部1等書記官。 *1985年 外交部専門委員(第1級研究員)。 *1989年 外交部巡回大使。 *1991年 外交部参事。 *1992年 朝米高官会談にて、金容淳に随行。 *1993年 朝米高官協議次席代表。 *1995年 外務次官(外交部副部長)就任〔『岩波小事典 現代韓国・朝鮮』では外務次官とある。外交部副部長としているのは個人ウェブサイト『NORTH KOREA TODAY』(NORTH KOREA TODAY 2007年7月3日 米主要人物訪北日誌 )と、『私設 朝鮮民主主義人民共和国研究室』(共和国人名録 金桂寛 )。〕。軽水炉問題を巡る朝米準次官級協議代表。 *1997年 韓国、中国、米国との四者会談本会議の、朝鮮民主主義人民共和国団長就任。 *1998年 11月、外務次官(外務省副相)就任。 *1999年 9月、ベルリンの朝米高官協議〔アメリカ側はチャールズ・カートマン(Charles Kartman)朝鮮半島平和担当特使。〕にて、経済制裁緩和と、ミサイル発射実験暫定的停止の合意を得る。 *2003年 8月、最高人民会議第11期代議員に選出される。 *2004年 第2回六者会合、第3回六者会合代表。 *2005年 第4回六者会合、第5回六者会合第1セッション代表。 *2006年 第5回六者会合第2セッション代表。4月8日、訪日。 *2007年 第5回六者会合第3セッション、第6回六者会合代表。3月8日、朝米協議からの帰路の際に成田空港へ寄り、中央日報の単独取材に応じた〔朝米協議は成果があったとされ、終始笑顔で、詰め掛けた記者団に対し「皆さんで平壌に行きましょう」などと上機嫌で語ったが、拉致問題について質問されると「解決できない原因は日本にある」などと怒りを露わにした。〕。 *2008年 クリストファー・ヒル国務次官補と朝米協議。 *2009年 8月、訪朝したビル・クリントンを平壌国際空港で迎える。同月、訪朝した中華人民共和国外交部の武大偉副部長(外務次官)と会談。 *2010年 9月、第1外務次官(外務省第1副相)就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金桂冠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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