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金沢 和良(かなざわ かずよし、男性、1946年11月8日 - )は、日本のプロボクサー、キックボクサー。北海道札幌市出身。アベボクシングジム所属。 == 来歴 == 北海道札幌工業高等学校在学中に札幌ジムでボクシングを始め、1963年には全日本社会人フライ級で優勝。 当初は協栄ジム入門を希望していたが結果的にアベボクシングジム所属で1965年7月18日、市川清戦でプロデビュー。 1971年7月2日、孫永煥を5RKOで下し、OBF(現OPBF)東洋バンタム級王座を獲得。 同年10月25日、愛知県体育館でルーベン・オリバレスが持つWBA世界王座に挑戦した。14R(当時の世界戦は15R)KOで敗退したが、68戦66勝61KOと圧倒的なKO率を誇り、「ミスター・ノックアウト」の異名を持っていたオリバレスに全く歯が立たないとの下馬評を覆し、2度のダウンを奪われフラフラになりながらも体力の限界まで戦い続ける大健闘を見せた。この試合は20世紀プロボクシング史に残る死闘とも言われている。また、東京12チャンネルで生中継され18.8%の高視聴率を記録し、年間最高試合にも選ばれた。この試合は金平正紀がプロモートした中で最高のファイトだったという。 オリバレスとは1969年にも1度対戦していたが、その時は2RKO負けだった。 1972年2月13日のロメオ・アナヤ戦を最後に現役を引退。 引退後はキックボクシング転身や、妻の実家で住職を務めるなどしたが、一時期はマック金平が実質的経営者の福島県いわき市のグローバル協栄第2代会長(前任者は藤猛)として後進を指導していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金沢和良」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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