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金沢文庫[かねさわぶんこ]
金沢文庫(かねさわぶんこ、かなざわぶんこ)は、鎌倉時代中期に北条実時が設けた武家の文庫。金沢流北条氏の私設図書館〔北条高時と金沢貞顕・11-12頁〕。 == 概要 == 所在地は神奈川県横浜市金沢区金沢町142。金沢流北条氏が領し、のちに館や菩提寺である称名寺を建立して本拠地として開発し、家名の由来となった地である武蔵国久良岐郡六浦荘金沢郷に所在したことが名称の由来である。 成立時期は定かではないが、実時が晩年に金沢館で過ごした建治元年(1275年)ごろではないかと言われる〔武家の古都・鎌倉ニュース 第30号(鎌倉市) 〕。北条実時は明経道の清原氏に漢籍訓読を学ぶ一方で嫡系の北条政村の影響で王朝文化にも親しんでいた文化人で、実時は鎌倉を中心に金沢家に必要な典籍や記録文書を集め、収集した和漢の書を保管する書庫を金沢郷に創設。文庫は実時の蔵書を母体に拡充され、金沢貞顕が六波羅探題に任じられ京都へ赴任すると、公家社会と接する必要もあり収集する文献の分野も広がり、貞顕は自らも写本を作成し「善本」の収集に努めた。また、貞顕は菩提寺の称名寺を修造しているが、貞顕が文庫の荒廃を嘆いていたとされる文書が残り、また貞時を金沢文庫創建者とする文書も見られることから、貞顕が文庫の再建を行っている可能性も指摘される。金沢氏を含め北条氏の滅亡後は、称名寺が管理を引き継いだ〔が、当時の建築物は現存せず、発掘調査と当時の記録からその位置が推定されている。室町時代には上杉憲実が再興している。 北条氏の滅亡後、文庫は衰退し、蔵書も多くが後北条氏、徳川家康、前田綱紀らによって持ち出された。明治になって、伊藤博文らの尽力により文庫が復興され、旧蔵書の回収も進められた〔久野健監修、川尻祐治編『関東古寺の仏像』、芸艸堂、1976、pp.62 - 63〕。 現在は「神奈川県立金沢文庫」の名称で県立の中世歴史博物館となっており、称名寺所有の国宝、重要文化財を含む資料を保管、展示している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金沢文庫」の詳細全文を読む
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