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金英煥 : ウィキペディア日本語版
金英煥[きむ よんふぁん]

金 英煥(キム・ヨンファン、)は大韓民国軍人韓国空軍創設者の1人。父に金埈元。兄に金貞烈
== 人物 ==
1921年1月、京城府鍾路区に生まれる。1939年3月、京畿公立高等学校卒業。卒業後は津田沼飛行学校に入学。1944年、関西大学入学。航空部におり、学生航空の鳥人として有名であったという。1945年、学徒出陣して陸軍予備士官学校に入学。卒業後は砲兵少尉となり咸興地区で終戦を迎えた。
1946年1月、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10016番)。第6連隊の創設に参加して同連隊A中隊長。隊員の多くが共産主義で意見が合わず、ついに集団で殴打される事件が起きると中隊長を辞した。のちに総司令部高級副官。
1947年4月、統衛部情報局長代理。米軍顧問を説得して、1948年9月1日に航空基地部隊が編成された。のちに航空基地部隊は陸軍航空隊となり1949年10月に韓国空軍が誕生した。金英煥は、1948年4月に航空幹部要員として歩兵学校に入校して同年5月2日に卒業。朝鮮警備士官学校で米式訓練を受けて、5月14日、陸軍少尉に任官。陸軍航空総監部に勤務した。1948年7月、陸軍航空基地司令部に配属され、副官兼人事参謀。1949年3月から空軍飛行団に異動して朝鮮戦争勃発時は空軍飛行団参謀長であった。李根皙などと共にマスタング操縦要員として板付に派遣される。
1951年8月、第1戦闘飛行団第10戦闘飛行戦隊長。同年9月、江陵前進基地司令官。1952年6月、第1戦闘飛行団副団長。1953年2月、第10戦闘飛行団長。第一線指揮官として活躍した。1951年12月のパルチザン討伐作戦では、海印寺爆撃命令を受けたが高麗八萬大蔵経保護のため爆撃を中止した。
休戦後の1953年12月、第1訓練飛行団長に就任。1954年1月、准将に昇進。同年3月、第10戦闘飛行団創設記念行事で飛行中乗機が墜落して死亡。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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