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金貞烈 : ウィキペディア日本語版
金貞烈[きむ じょんにょる]

金 貞烈(キム・ジョンニョル、1917年9月29日 - 1992年9月7日)は、大日本帝国陸軍及び大韓民国空軍軍人政治家、第19代国務総理。最終階級は日本軍人としては大尉、韓国軍人としては中将創氏改名時の日本名香川貞雄(かがわ・さだお)。は「曙巖」(ソアム、서암)。
== 経歴 ==
京城の裕福ないわゆる両班の家庭に生まれる。本貫慶州金氏。武人が5代続いた慶州金氏の名家で、父・埈元(日本陸士26期)と伯父・基元(日本陸士15期)は大韓帝国軍人であった。
1940年、陸軍航空士官学校(54期)を卒業。明野陸軍飛行学校乙種に在学。1941年、飛行第4戦隊に配属され、太平洋戦争緒戦のフィリピン攻略戦に参加。1942年8月、飛行第248戦隊に配属。同年10月から翌43年3月まで明野陸軍飛行学校甲種に在学。卒業後はバンドンに赴任し、第117教育飛行戦隊第3中隊長となる。1944年3月、大尉に昇進してジャワ島で第35教育飛行隊付となる。同年10月、再びバンドンに赴き、スマトラ島にて三式戦「飛燕」戦闘隊(第18錬成飛行隊)の隊長として防空にあたる。終戦直前に明野陸軍飛行学校甲種学生教官に命じられ移動中、プノンペンで終戦を迎えた。サイゴン警備隊長として治安維持に努めたのち、1946年5月に帰国した。
1948年4月、南朝鮮国防警備隊に入隊。韓国空軍の独立に尽力し、崔用徳李根晳などとともに空軍の創設に貢献した。1948年9月、陸軍航空司令部飛行部隊長となり最初の編隊飛行を実施した。1949年2月、航空士官学校校長。同年10月、韓国空軍が発足すると初代空軍参謀総長に就任。1952年12月、在東京国連軍総司令部韓国軍連絡将校団団長。1954年5月、国防部長官特別補佐官。同年12月、再び空軍参謀総長(第3代)に就任した。
1957年7月、予備役に編入した後は国防部長官に就任したが、1960年四月革命の際には李承晩大統領に辞任を促す側にまわり、自らも国防部長官を退任した。
1961年5・16軍事クーデター以降は、1963年民主共和党の初代党議長となり、同年5月から駐大使(~1964年10月)、1966年に反共連盟理事長、1967年には全国区選出の国会議員となった。
国会議員の任期を終えた後は、1971年から三星物産社長、大韓商工会議所副会長、チョンウ開発会長などを歴任し実業界において活動した。1980年には、崔圭夏大統領の下野に貢献する役割を果たした事を評価され、全斗煥政権で平和統一諮問会議の首席副議長として公職に復帰し、政権末期には第五共和国における最後の国務総理を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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