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針の上で天使は何人踊れるか : ウィキペディア日本語版 | 針の上で天使は何人踊れるか[はりのじょうでてんしはなんにんおどれるか] 「針の上で天使は何人踊れるか」(「はりのうえでてんしはなんにんおどれるか」)というのは、中世の天使論、特にスコラ学全般およびヨハネス・ドゥンス・スコトゥスやトマス・アクィナスのような特定の神学者の天使論において、ありがちな間違いとしてよく使われた問題である〔「聖トマスは、「針の先で天使が何人踊れるか?」という問題を論じてはいない。聖トマスは、天使が生身の肉体を持つと考えてはならないこと、そして、天使にとって、その活動範囲が針の先であろうが一大陸であろうが大差ないことを(「神学大全(Q. lii, a.2)」)、私達に思い出させてくれただけである。D.J.ケネディによる上記リンクを参照のこと。〕。 == 概要 == この問題は、「ピンの先に天使が何人座れるか」というように表現されることもある。 また、この問題が、ヨーロッパの中世の実際の文書や議論に歴史的な根拠を持つ話なのかどうかには、議論の余地がある。この話は、スコラ学がまだ大学教育で重要な役割を演じていた頃に、スコラ学に疑問を持たせるために使われた〔より正確には、17世紀に使われ、ケンブリッジ・プラトン学派のカドワース、ヘンリー・モア、ゴットフリート・ライプニッツなどに論じられた。〕作り話だという説もある。ジェームズ・フランクリンは、この問題を学問的に取り上げ、17世紀のウィリアム・チリングワースが「プロテスタントの宗教(Religion of Protestants)」の中で、「100万人の天使が針の先に収まるかどうか」を論ずる無名のスコラ学者を非難していることに言及している〔Franklin 1993 p. 127.〕。これは、1678年にラルフ・カドワースが「宇宙の真の知的体系」の中で言及するより前である。「アリストテレス「自然学」 とその中世の異本(Aristotle's Physics and its Medieval Varieties)」(1992)の作者であるH.S.ラングは、「針もしくはピンの上で天使は何人踊れるかという問題の多くは、「中世後期」の著者が残したものであり、この問題が実際にこの表現のままで発見されたことはない」(284ページ)と言っている。この表現の現代英語版(ピンでなく針が使われる)は、アイザック・ディズレーリにまで遡ることができる。 また、この話は、風刺や自虐ネタが現代まで残ったものだという説や、ディベート訓練用のテーマだったという説もある。ただし、ジョージ・マクドナルド・ロスは、14世紀の神秘主義の文献にかなりよく似た表現があることを指摘している〔G. MacDonald Ross (「天使(Angels)」 ): Philosophy, vol. 60, 1985, pp. 499--515 所収。〕 。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「針の上で天使は何人踊れるか」の詳細全文を読む
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