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針谷夕雲 : ウィキペディア日本語版
針ヶ谷夕雲[はりがや せきうん]
針ヶ谷 夕雲(はりがや せきうん、生年不詳 - 1669年(寛文9年))は、日本江戸時代初期の兵法家剣客無住心剣流剣術の開祖。名は正成。通称、五郎右衛門。
== 経歴 ==
上野国針ヶ谷(旧埼玉県大里郡本郷村、現深谷市)に生まれる。真新陰流の小笠原長治(源信斎)が中国から帰国して後の門人といわれる。生涯52度の試合で不敗だった。夕雲は40歳ごろまでは師の刀法を守っていたが無学文盲で、本郷駒込龍光寺、虎白和尚のもとで参禅するようになり、相抜けの境地の前ではそれまでの刀法、八寸の延金のことごとくは虚構に過ぎないとして流儀を捨て、本然受用の一法を案出したとされる。いわく、「兵法を離れて勝理は明らかに人性天理の自然に安坐するところに存する」というもので、刀の勝負より心の勝負を説いたものとされる。その剣を「金剛般若経」から取り「無住心剣」と虎白は命名した。
夕雲は主取りすることなく浪人のまま過ごしたが、紀州藩から内証扶持をもらっていたとされる。晩年は江戸八丁堀に住み、寛文9年(1669年)に60余歳で没した。墓は渋谷、東福寺にある。
共に小笠原長治の弟子であった神谷直光(伝心斎)も晩年は儒教に感化され流儀を離れ、独自の剣の道を切り開いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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