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播磨稲日大郎姫[はりまのいなびのおおいらつめ] 播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ、生年不詳 - 景行天皇52年5月4日(122年6月25日))は、『古事記』『日本書紀』『播磨国風土記』に記される第12代景行天皇の皇后。日本武尊(ヤマトタケル)の母。針間之伊那毘能大郎女・印南別嬢とも呼ばれる。 ==古典の記述==
===古事記===
「針間之伊那毘能大郎女」または「伊那毘能大郎女」と表記される。吉備臣らの祖の若建吉備津日子(孝霊天皇の皇子)の女で、櫛角別王(くしつのわけのみこ)・大碓命(おおうすのみこと)・小碓命・倭根子命(やまとねこ)・神櫛王(かむくしのみこ)らの母親とされる。また、妹として伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)が記され、同じく景行天皇の妃であったという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「播磨稲日大郎姫」の詳細全文を読む
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