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釧路鉄道 : ウィキペディア日本語版
釧路鉄道[くしろてつどう]


釧路鉄道(くしろてつどう)は、北海道東部の硫黄山で産出される硫黄の輸送を目的とした鉄道路線を運営した企業である。硫黄鉱山の専用鉄道として建設された路線を継承し、北海道内では2番目(北海道の私鉄では最初)の鉄道事業者となった。鉱山を経営していた安田財閥によって建設・運営されたが、鉱山を保有した原因であった山田銀行(本店・函館)への貸し付け分が回収され、安田財閥としての硫黄の採掘が中止されたため、開通から10年足らずで事実上廃止となった。
短期間で廃止となった硫黄鉱山の鉄道であったが、安田財閥の元になる石炭産業(現:太平洋炭鉱)、釧路港、根室銀行(後:安田銀行、現:みずほ銀行)開設と釧路地域開発のきっかけとなった。1921年(大正10年)の釧路開港35周年に安田善次郎は、功績により釧路区(現:釧路市)から表彰されている。
== 歴史 ==
1872年(明治5年)に、佐野孫右衛門によりアトサヌプリ山麓の硫黄山で硫黄採掘が始まり、1886年(明治19年)に、北海道開拓使の方針に基づき、前年に開設された釧路集治監の囚人使役により開始された〔
町のなりたちは集治監から… 標茶町ウェブサイト〕。佐野孫右衛門が亡き後は函館の山田銀行に譲渡され、さらに1887年(明治20年)に融資を受けていた安田善次郎に譲渡された。当時の運搬は当初は仁多(弟子屈)まで馬搬、仁多より川船を乗り継いで釧路まで下ったが、後に標茶まで馬搬になり、標茶から湧比別(後の五十石)まで50石船で、湧比別から釧路は100石船で運搬した。
標茶に大規模な精錬所が建設され、1887年(明治20年)4月より輸送のために硫黄鉱山専用鉄道の敷設が釧網本線標茶駅付近から跡佐登の24マイル余りの区間で開始され、同年12月に開通した〔官報 1888年03月28日 国立国会図書館デジタルコレクション。〕〔北海道鉄道百年史では敷設開始は前年1886年(明治19年)4月としている。〕。この建設も囚人使役で行われ、現在のような重機もない状況で、僅か7か月で建設している。さらにその後1889年(明治22年)に2マイル余り延長し、後年の釧路鉄道開業時と同じ総延長約43.2km(26マイル67チェーン)に達した〔北海道鉄道百年史 上巻 p88。〕。
また、標茶から釧路港まで釧路川の24キロメートルを浚渫し、前述の50石や100石船を小型蒸気船〔第一釧路丸から第三釧路丸の3隻。〕で牽引して積出港の釧路港まで輸送した。標茶から釧路港まで線路を敷設しなかったのは、間に釧路湿原が広がり、技術的に難しかったことが主な理由である。
採掘高は7万5千石に達していたが、過酷な鉱山労働で死亡者が続出、逃亡を図る囚人が斬殺されるなどの惨状を知った集治監の教誨師原胤昭が、典獄大井上輝前に進言したことにより陰惨な事実が表面化。安田善次郎との契約を破棄、1888年に囚人を引き揚げ、鉱山は労働力確保に事欠く状況に陥っている。
その後、沿線に開拓民が増えたことから、無賃の一般旅客なども行うことになった。1891年(明治24年)に釧路鉄道(本社:東京日本橋の安田銀行本店。資本金20万円)が設立された。1892年(明治25年)内務省から鉄道布設免許状〔「鉄道布設免許状下付」『官報』1892年6月29日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕と、補助金2万円を受けて同年9月8日から運営された〔「鉄道運輸開業免許状下付」『官報』1892年9月6日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。
徐々に硫黄の自然湧出量と生産量とが合わなくなり、また旧山田銀行への貸付分が回収されたため山田銀行社主に硫黄鉱山を返還し、1896年(明治29年)7月28日に安田の鉱山としては休止した(その後1970年まで硫黄鉱山は操業した)。硫黄鉱山の専用鉄道から私設鉄道に転換したとはいえ、運輸収入の大半は硫黄輸送が占め、開拓民による旅客輸送はごくわずかで、採算が取れなくなり、8月1日には休止届を提出し運行休止、事実上の廃線となった。1897年(明治30年)10月31日に、北海道鉄道敷設法の建設予定路線と重なることもあり、釧路鉄道と政府の間で19万9千円で買収契約締結し会社を解散した。
1929年(昭和4年)8月15日、休止から33年後に開業した釧網本線標茶駅 - 弟子屈駅(現・摩周駅)間25.3kmのうち16.8kmに路盤が転用されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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