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鈴が森刑場 : ウィキペディア日本語版
鈴ヶ森刑場[すずがもりけいじょう]
鈴ヶ森刑場(すずがもりけいじょう)は、東京都品川区南大井にかつて存在した刑場江戸時代には、江戸の北の入口(日光街道)沿いに設置されていた小塚原刑場とともに、南の入口(東海道)沿いに設置されていた刑場であった。
元々この付近は海岸線の近くにあった1本の老松にちなんで「一本松」と呼ばれていたが、この近くにある鈴ヶ森八幡(現磐井神社)の社に鈴石(振ったりすると音がする酸化鉄の一種)があったため、いつの頃からか「鈴ヶ森」と呼ばれるようになったという。〔大経寺のパンフレットより。〕
== 歴史 ==

1651年(慶安4年)開設される。1695年(元禄8年)測量された検地では、間口40間(74メートル)、奥行9間(16.2メートル)、であったという。1871年(明治4年)閉鎖される〔。220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたと言われているが、はっきりした記録は残されていない。当時は東京湾沿いにあり、刑場近くの海で水磔による処刑も行われたとの記録も残されている。
当時の東海道沿いの、江戸の入り口とも言える場所にあるが、刑場設置当時浪人が増加し、それにともない浪人による犯罪件数も急増していたことから、江戸に入る人たち、とくに浪人たちに警告を与える意味でこの場所に設置したのだと考えられている。
最初の処刑者は江戸時代の反乱事件慶安の変の首謀者のひとり丸橋忠弥であるとされている〔。反乱は密告によって未然に防がれ、忠弥は町奉行によって寝込みを襲われた際に死んだが、改めて刑にされた。その後も、平井権八天一坊八百屋お七といった人物がここで処刑された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鈴ヶ森刑場」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Suzugamori execution grounds 」があります。



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