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鈴木三樹三郎 : ウィキペディア日本語版
鈴木三樹三郎[すずき みきさぶろう]
鈴木 三樹三郎(すずき みきさぶろう、天保8年7月15日1837年8月15日) - 大正8年(1919年7月11日)は、江戸時代末期(幕末)の武士新選組九番隊組長御陵衛士明治時代の警察官官吏。初名は多聞。
== 生涯 ==

=== 出生 ===
天保8年(1837年)、常陸志筑藩士(郷目付)・鈴木専右衛門忠明の二男として志筑に生まれる。実兄に伊東甲子太郎がいる。
のちに藩から追放された父・忠明は、高浜村(現:茨城県石岡市)にて私塾を主宰した。忠明死後は三樹三郎が代わって私塾を経営した。のち、同藩士(中小姓格)・寺内増右衛門の養嗣子となって寺内多聞と称し、藩の山林取締役兼御朱印番に就いたものの、飲酒など素行不良のために離縁される。その後、三木荒次郎を称す。
尊王攘夷運動に奔走すべく脱藩した三樹三郎は、江戸深川道場主で兄・甲子太郎の元に身を寄せる。桜田門外の変の後、浪人に対する詮議が厳しくなった江戸を離れ、数年もの間、常陸国多賀郡にて隠棲する。元治元年(1862年)、天狗党の乱の際は、甲子太郎の探索依頼を受けて志筑へ戻る。途中、土浦の桜井旅館で偶然天狗党とかちあったが、互いに警戒して言葉を交わさなかったという。天狗党が志筑を通らずに去り、三樹三郎も志筑に留まる理由も無いので、江戸へ向かうこととなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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