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鈴木安孝 : ウィキペディア日本語版
鈴木安孝[すずき やすたか]

鈴木 安孝(すずき やすたか、1877年明治10年)9月15日〔衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、23頁。〕 - 1955年昭和30年)2月28日)は、日本の政治家法律家。元衆議院議員、元参議院議員秋田県選挙区)、元秋田市長
== 略歴 ==
宮城県出身。1903年(明治36年)に和仏法律学校(現・法政大学)法律科を卒業すると秋田地方裁判所判事に任官され、4年後に秋田県弁護士を開業。1913年(大正2年)に 秋田市議会議員に当選(以後6期当選)して政界入りし、その後1919年(大正8年)には秋田県議会議員に当選(以後3期当選)して1927年(昭和2年)に県議会議長に就任。翌1928年の総選挙立憲政友会公認で出馬し衆院議員に当選、通算3期務めた。
1934年(昭和9年)に秋田市長に選出され、1938年(昭和13年)まで在任。秋田市長時代には、市工場建設奨励規程を設定して工場誘致に努め、茨島市有地を東北肥料株式会社に貸与して同地帯発展の基礎を築いた。また、秋田運河の実現に尽力し、土崎、寺内、新屋の経済提携の必要性を強調して、同地区合併の素地を作った。その後は暫く政界から遠ざかっていたが、第1回参議院議員通常選挙自由党公認で出馬、6年議員として当選し1期務めた。政界引退後の1954年(昭和29年)に秋田市から「最高功労者」として顕彰され、1955年(昭和30年)2月28日に死去。享年78。秋田市による市葬(葬儀委員長は武塙祐吉市長)が営まれた。
長男の鈴木一も父の後を継ぐ格好で参議院議員に、更に衆議院議員を長く務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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