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鈴木年基[すずき としもと]
鈴木 年基(すずき としもと、生没年不詳)は、明治時代の大阪の浮世絵師、洋画家。 == 来歴 == 月岡芳年の門人。大阪の人。姓は鈴木または鈴樹、名は雷之助。雷斎、蕾斎と号す。生年は不明だが、芳年の兄弟弟子たちとの比較や、後述する明治10年(1877年)に編輯兼発行人になっていることから、安政初年頃から嘉永年間にさかのぼると推測される。安堂寺橋通3丁目23に住んでいた。 明治8年(1875年)には大阪の錦絵新聞『新聞圖繪』を執筆し、その版元八尾善から別に「地球全界雷名鏡」シリーズを刊行したようだ。明治10年版行の西郷隆盛など西南戦争の立役者達を大判の大首絵で描いた「文武高名伝」(大判揃物、点数不明)や、同戦争の場面を大判三枚続で描いた錦絵などが知られている。その一方で年基には文才もあったらしく、同じ年に鈴木雷之助の名で自身が編輯兼出版人となった、絵草紙『薩摩大戦記』六編を綿屋喜兵衛から出版している。明治10年代に京阪の風景画シリーズを描いている。これらは、犯罪や戦争場面を血みどろで凄惨な場面として描いており、師・芳年の影響が窺えるが、やや芝居がかったリアリズムや陰惨な中に諧謔性を潜ませた表現を見せ、幕末の歌川派と上方浮世絵を合わせた年基独自の表現である。 風景画では、やはり明治の初年ごろ大阪を中心とする各地の名勝を中判横長風景を二丁掛けに配した大判「大日本名所寫真鏡」を7番まで計14景を刊行したと推測される。画風には、小林清親の光線画の影響がみられる。しかし、清親の澄んだ空の表現に対し、年基は昼景でも独特の濁ったような暗さが見られ、これが年基の個性であり、大阪の地方色だと考えられる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木年基」の詳細全文を読む
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